ADHDが人生とofficeソフトを楽しむ

ご飯作ったり、働いたり、officeソフトが好きだったり、イラレが好きだったり、ゲームしたり。生まれ変わってももっかいこの人生してえ。

【ぷちおまけ:麻婆豆腐】どんな人が友達?の話

ぐぬぬぬ、と悩みながら書くコーナーがついに復活です。

 

先日友人と恋愛話をし、そのまま人付き合い論の話になりました。その際に私の人間関係の取捨選択どうなってるのか得心いったので書かせてください。

 

今回のテーマは

どうやって友達選んでるの?

です。

 

 

私の場合。

躊躇しても時間の無駄なのでばしっといきます。

「何をしてくれた人なのか」

が友達の基準です。

 

為になる話をしてくれる

面白いことして明るくしてくれる

いっつも頑張ってるから刺激になる

優しくしてくれる

議論に付き合いつつも言い方が大人

手本レベルの行いをしている

 

などなどですが、この人と一緒にいると色々動けるな、と思えるかどうかが大きな基準になります。

でもこれ、あんまり自然な考え方じゃないみたいですね。わたしに普通はわかりませんが、ちょいちょい揉めて私が変だってことは分かりました。

平たく言えばみんなそうなんだと思うけどなあ!?

 

で、なぜこんな話になったかと言いますと。

お友達に数週間前に彼氏ができたんです。

付き合う前は優しかったですし、包容力もあって、素敵な先輩ヅラしてたそうなんです。そんなお相手から熱烈なアピールがあったそうなんで付き合うことにしたそうですが、いざ付き合ってみて1ヶ月経つと、向こうからの連絡はなくなり、彼女には甘えたいと言い切って所謂エスコートがなくなったそうです。

引っ張ってってくれそうだからと付き合い始めたけど、需要と供給が合致してないわけです。

 

どうしよ?という相談から、「そういやわたし、旦那と友達ってどう選んだ?」って考えましたが、やっぱり自分に良いことしてくれて「うわあありがとう!お返ししなきゃ!」から関係が始まって、それが永続してる場合だけしか、うまくいかないんですよ。なので、今回の相談に対しては「私理論で言えば、お互い自然に動いてるのに感謝できる、または相手に感謝してるからこれくらいやってあげようとかって思えないなら早めに別れなよ時間勿体無いし」とお返事した次第です。

 

…って書いてたら「なんで私一部の人から気持ち悪がられるのだろう」が見えてきたので書いてみます。

 

①仲良しのための行為に義務感を生んでしまう

私が行っていることは、民俗学で言うところの「贈与と交換」ってやつですね。この時の贈与は物や土地だけではなく、言葉や行動も含むそうです。確か。ソース?大学の先生。本は忘れた。

これ以外の心地いい関係がわからないんですよね。これ以外で人との繋がり方がわからない。

一方で、贈与に関しては3つの義務があるとも習いました。以下ウィキペディア

  1. 与える義務:与えるのを拒んだり、招待をしないのは、戦いを宣するに等しい。ヨーロッパの伝承にもあるように、招待を忘れると致命的な結果となる。
  2. 受け取る義務:贈り物を受け取らなかったり、結婚によって連盟関係を取り結ばない、といったことはできない。受け取りを拒むのは、返礼を恐れているのを表明することにもつながる。
  3. 返礼の義務:この義務を果たさないと、権威や社会的な地位を失う。権威や社会的地位が財や富に直結する社会では、返礼が激しい競争をもたらす場合がある。

とまあこんなわけで。与えない招待しないのも駄目、受け取らないのも駄目、お返ししないのも駄目っていう生きづらいわ人類。

なんでこんな生き方なんだ!

でもこれ以外わからない不思議!

 

あ、しかしながら、わたしには大親友と呼べる人がいます。旦那より大事です。そいつのことは唯一贈与関係を深く考えません。でも根幹は「一番辛い時期に一緒に辛さに向き合ったり逃げたりしてくれた」っていう根深い感謝と信頼があるんですよ。ここで贈与交換をし過ぎて勘定を諦めてるんですよね。それに、お互い欲しいものが把握でき過ぎてて、無意識の贈与交換できている気がします。

この経験則から、私は飽きるほど恩を売るし、わざとかって言われるくらい細々と頼ってしまう。んー文字にすると鬱陶しいけどさあ。。

でも、こうやって何かを贈与しまくって、返答がなかったら「私の贈与はこの人には合わないんだな」って思って関係が薄くなるの、理屈は通ってると思うんですよ。

でもこれ「返答がなかったら縁を切る」わけですので、薄情ではあるよね。仲良くしたかったら私の贈与ルールに則りなさいと。義務感だねえ。

 

②贈与に心がなく猿真似である

もう一つ、こんなことがありました。

 

職場で得意先から箱でお菓子を頂き、席の近い事務の子が配ってたんですけど、全員分配れるか分からなかったので、自分の分を配らずに「残り1つですけどもらってない方いませんか!」って叫んでたんですよ。

もちろんわたしなら迷わず自分に配って終了です。

で、問題はその後。

実はお菓子は全員に配られていたので無事その事務の子が食べたのですが、40代くらいの優しい女性社員さんが「〇〇ちゃんこれ、食べてないでしょ?あげるあげる」と自分の分を持ってきたんですね。

 

すごくない!?

自分の分を配らずに足りてない人を確認する子。そんな子がいたからと自分の分をわざわざ持ってくる女性社員さん。

 

なるほど、これが優しさ…というより、

 

この場合の最適解はこれか!

 

と思ってました。

なんというか、さっきの「自分にとって良いことしてくれる人友達になる論」やら「贈与論」の根幹「贈与」は、私、内側から沸き起こるものではなくて、こうやって学習してきたものでしかないんです。

こうすると嬉しいんでしょ?

っていう猿真似でしかないんです。

そこに優しさなんてありません。

私が得するための布石です。

 

まあそりゃ、返礼やら受理の義務が煩わしい人からしたら嫌われるわな、と。

 

③贈与と感じる幅が広すぎて気色悪い

ほいで更に重ねると。

私たぶん…最初に相手から贈与されないと嫌なんです。これもそのままの意味だとただの嫌なやつですが。

ツイッターで例えます。

フォローされたからフォローし返すってだけじゃなくて、たまたま面白いこと呟いてたってのも贈与扱いです。

面白いこと呟いてくれてありがとう!何かお返しさせて!

うんまあ改めて文にすると

 

お前誰だよ

 

ってなりますね。

 

このへんの

①贈与3つの義務が半強制であること

②優しさが猿真似でしかない

③幅の広い贈与感覚

っていう違和を覚えられるセンシティブな方は確かに私のこと嫌いなんだろうなあ、とものすごく納得したわけです。

 

うーんまとまりもなければ現在読み返す気持ちも沸き起こらない。

一旦この子は公開しますから、苦笑いしてやってください。やる気があったら再編集します。

 

あ、るーちゃんうちに来たのでまたなんか書きます。

 

おまけ

陳家私菜新宿店

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辛すぎるので、肉味噌部分は残す前提ですね。

辛すぎますがうまいです。その代わり汗ダラダラなので寒い日に食べて、なおかつ帰りにスタバによってフラペチーノを買わないと割に合わない代物です。

でもうますぎます。

中国の人が日本人の舌のことを忘れて自分の好みに作ったような気がします。

あと、量が多いので牛丼並盛りでお腹いっぱいになる方は半分こしてください。

 

仕事して来ます。