ADHDが人生とofficeソフトを楽しむ

ご飯作ったり、働いたり、officeソフトが好きだったり、イラレが好きだったり、ゲームしたり。生まれ変わってももっかいこの人生してえ。

発達障害当事者間の既視感のある揉めを回避する考え方の話

おはようございます。

 

唐突ですがまとめたくなりました。

 

きっと偉い人や有名な人がいろいろ書かれてると思いますが、掲題の件についてまとめさせていただきます。

 

注意事項

発達障害のネガティブな側面をズラララッと書いておりますので、「人によって当てはまる・当てはまらない問題」があります。

ADHDASD・LD・PDD・協調運動性障害等を分けて書いていません。理由としては、わたし自身が「なんか全部わたしっぽい」と思っているからです。(一番困ってるのはすぐ忘れることれす)

③別に専門家ではありません。ど素人です。

④大学で発達心理学などの講義を受講していたはずですが、殆ど記憶にありません。

⑤何か参考文献あると良かったのですが、何かあったら全部グーグル先生ですごめんなさい。その代わり引用があったら絶対書きます。

 

【なんでこんなことを書くの】

★わたしの主観で見る事実として…

①当事者間の溝が表面化することが多いのでは

②身体障がい(←このがいの扱いがわからん)のコミュニティに参加したこともあるけど、揉めたの見たことがない

★そこから思ったこととして…

①見てて気持ちの良いものではないので、再発を減らしたい

②なぜ発達障害コミュニティはこんなに揉めてしまうのよ→発達障害だからです→でも、考え方のくせは多少は知識で補えるのではないだろうか。

★わたしのメリットとして…

①人のツイートを見て「一瞬イラっとするが、反射で何かリプする前に間違った解釈をした、主観的な解釈をした」ことに気づくことが時たまあり、無駄な時間なと思っている。ならさっさと思考整理をして逡巡する時間を減らしたい。

 

【わたしの主観で見た発達界隈の特徴】

★当事者間の環境の差によって…?

(ここでいう環境は、家族・学校・友人・職場からどれほどの理解と実際の配慮を受けてきたか等の人間関係的環境)

①自己肯定感に差があるので、以下のことに抱く感情が違う

→何かを頑張ること・努力すること

→意見する・されること

→からかわれること

→相手と自分間において持っているスキルに差があること

②二次障害の有無と程度の差があるので

→それぞれの感情を理解できない・共感できない。

③関わってきた社会が違うので

→ウェイ系・ぼっち系など、そもそものニッチが違うもの同士が同じ「発達障害」という社会に属することになるので、個々の体感してきた文化の差が大きい

 

★当事者間の苦手なことの差によって…?

①他者の感情を察することが苦手な場合

→意見・忠告の元感情が「心配に感じたからなのか不快に感じたからなのか」判別がつかない

→なにが迷惑や不快に当たるのか理解できない

②自分と他者の感情を同一視する場合

→「皆そう思うはず」という思い込みの発生

→そうでなかった場合の思考混乱

→話してる時に1→2→3→4と順番に話しているつもりが1→4になる

→一つの言葉や状況に対して複数の意味があることを瞬時に把握することが難しく戸惑う

(例:メンヘラ。多分本来は《心の健康に問題を抱えた人 引用:https://menhera.jp/5671》のようですが、面倒な人・他者に迷惑をかける精神障害を抱える方への蔑称という側面も…)

(例:大学時代。遊びまくる人もいればすげえ頑張って勉強する人も。)

③言った言葉を忘れる場合

→その場その場で意見が変わるように見える

→約束を反故にすることに繋がる

④思ったこと感じたことを忘れる場合

→反省したはずのことを繰り返す

⑤語句や漢字の理解に時間がかかる場合

→相手への返事をする前に確認事項を整理する必要がある

⑥後回し癖のある場合

→汚部屋になりがち(逆に潔癖の気がある人もいるので問題になる可能性がある)

→オフ会などのイベントでの負担の差(逆に事前確認が得意すぎる人もいるので問題()

 

★当事者同士という意識によって…?

①理解し合える人という前提が生まれやすい

→他者に期待をすることになるのでその分期待を裏切られることも増える

②仲良くなるきっかけとして利用し過ぎる

→愚痴ばかりになりがち

→愚痴を言いたいのか相談なのかの判別

③互助になればと成功事例や失敗事例の共有(すげぇ大事なんだけど)をする

→「上から目線」という不快感に繋がる

↑そもそも、当事者同士ということに対しての認識の差(理解しあえないのは当たり前と思っているか、やっと見つけた受け入れてくれる場所と思っているか、他にも属しているコミュニティがあるか)

 

はいここまでで1937文字ですもう疲れ書きます。

もうやり切った感に満ち溢れているADHDですので、ここから先は硬い文章を期待しないでください。

 

【一般(?)社会と発達当事者界隈にて揉め事となった場合のを比較した場合の傾向】

えー、上記のような特徴があると…なんとなく思います。特徴というか…こんなこと言うと怒られそうですが、わたしは「問題点」だと思っています。しかし、これらって別に発達界隈に限った話ではなく、広く社会でよくあることだと思っています。社会ではこれらのことが問題に発展することもあれば、問題にならず「よくあること」として処理されることも多くあります。

ではなぜ、この界隈では「問題・炎上」に繋がるのか。それは以下2点の傾向によるものです。

 

「発達界隈だから発達みのあることしても理解されるという油断」

「インターネットだから人間関係はすぐ断ち切ればいいやという油断」

 

一般社会ではまず気をつけることです。発達だからって人に迷惑かけたくないし、なんなら会社や友達に内緒にしている人もいると思います。そもそもインターネットでなければそんなに簡単にリセットはできませんし、一度発言したことは訂正しづらいことも意識しやすいと思います。…発言にプレッシャー感じる的なことです。

 

【結果起こりうること】

では、この二つの油断に対して起こりうることを紹介いたします。

例①

「自己肯定感」という言葉が広く浸透し、高低差によって特徴があることに理解がある人ばかりだと思っていませんか。「だってどうせ私なんか」という言葉を不快に感じる人だっているし、不快に感じても不快という理由だけで叩きにいくのは相手を傷つけます。

 

例②

《育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない。 引用:http://j-lyric.net/artist/a002642/l01006e.html》ということを忘れていませんか。「わたしはこう育ってきたからこう思うんだ!分かって!」という発言。もちろんこれに対しての配慮は大切だと思いますし、言わなければ伝わりませんが、主張には必ず対義語がありますので「だからなんだ!わたしはあなたと違ってこう育ってるからあなたのその意見には賛成できかねます!」があるのです。

《夏がダメだったりセロリが好きだったりするの 引用:http://j-lyric.net/artist/a002642/l01006e.html》です。わたしはセロリ大好きです。でもトマトスープに入れて味が残っていると旦那にしょんぼりされます。でもわたしはセロリの味がするトマトスープが好きなんです。

 

例③

発達障害っぽい影響で相手に不快感を与えた場合「不快感を与えたことに関しては謝罪するが、わたしはこういう人間だから、これが嫌なら関わらないでくれ」と思っていませんか。勿論すぐに「分かった。それではさよなら」とブロックなりなんなりする方もいますが、「無理だよう。君のことは好きなんだよう。友達でいてくれよう。でも注意はさせてよう。」という人もいます。

 

例④

語句の意味を主観で単一化していませんか。言葉には複数の意味があります。捉え方も複数あります。常に「自分の気持ちを伝えるのに、この言葉で過不足はないのか」を考えて発信しないと揚げ足をたくさん取られます。

「違うそういうことが言いたいんじゃないんだ」と言っても「なんか調味料買ってきて」「はいじゃあ香味シャンタン」「いやクレイジーソルトのつもりだったんです」みたいなことになります。

 

例⑤

過度に大きなくくりをした決めつけをしていませんか。「恋愛経験を10代でしていない人ってぼっちのはず」「モテる奴がえらい。地位が高い」「まじめに勉強しない大学生って害悪。」「大学時代にウェイウェイしなかったの人生損してる」「そもそも大学行こうぜ!」「いや専門の方がちゃんと身につく」「高卒で早くから働いてたからスキル身についてる」「中卒で早くから働いてたからもっとスキル身についてる!」「発達障害でも女だったら人生イージーモード」ってもう言い出したらキリがないんです。自分の中や友人同士でくくるのはいいんですが、SNSでくくりとその特徴を発信するときは「反対意見を集めたい時だけ」がオススメです。そう、「酢豚にパイン入れるのは当たり前」と言うように。

 

例⑥

発達障害者の代表ですという顔をしていませんか。「そもそも発達障害者の特徴」という言葉があやふやの頂点にあるものです。なので代表として自分の経験や感覚を話すと勿論そうでない人が出てきます。

プロ野球選手はチームワークを大切にしている」「発達障害者は障害を言い訳にしたくない」主語に対しての括りの雑さが違うことがわかると思います。「プロスポーツ選手はチームワークを大切にしている」と言うと「わたし個人競技です」という方がいらっしゃるのと同じかと思います。

 

と、「情報や感情や思考の受発信」に対しての油断が上記のことに繋がっていると思います。

度々言いますが、発達界隈だけでなく、SNS全体に言えることかと思いますし、書いてるわたしも色々と反省することが多いです。現在Twitterで鍵垢に引きこもっているのも「逃げ」であり「リセット癖」ですから。

 

【揉めない為の考え方】

完璧に相手の気持ちになる、察するなんてのは不可能ですので、以下のことを念頭におけるといいと思います。

①自分が誰かの発言で不快に思った場合「本当に発言者に人を不快にさせる目的があったのか」を考えてみましょう。人を傷つける、不快にするために発言する人はそう多くはありません。ほんの一握りです。もしどうしても発言をした目的が不明確であったら「不快です」と言う前に「どういう意図だったんですか?」と聴きましょう。

②勘違いされそうな発言か、そうでないかを投稿前にもう一度だけ考えましょう。他人の性格・環境・経歴に言及し過ぎていないか?症状と性格をごっちゃにしていないか?など。上に書いた特徴から、何が勘違いされやすいか考えてみましょう。

 

はい以上です。

あさ4:00からなんか書き始めてしまってもう4時間たちました。

文字数も4426字です。

わたしの人生の中で一番訳の分からない4時間を過ごしました。なんでこんなこと始めなんだろう。

あ、そうそう。

なんかこう、頑張ってわかりやすいように書こうと努力はしましたが、これ全部自戒でなんの専門家でもない一般人が自分の為に一生懸命書き書きしただけなので間に受けすぎないで下さいね。

眠いです。寝ます。

 

あ、なんか、直してほしいなってあったら是非あの、コメント、下さい。

 

アーーー楽しかった。

 

【おまけ】

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そうめんとにゅうめん

こんなにうまいんかいったくらい美味しかったです。なんか、土日のお母さんが作ったお昼ご飯って感じで幸せでした。作ったのわたしだけど。